2022年4月、グローバンネットの新社長に就任した神杉。会社の変革を見つめ続け、グローバンネット・ドリームを体現した神杉のサクセスストーリーに迫る。
・パッカーズ入社までの経緯を教えてください。
私は高校卒業後すぐに社会に出ました。学生時代から起業したいとずっと思っていて、1日でも早く働きたかったので、大学進学は選択肢になかったんですよ。それよりも働きたかった。
一番最初のキャリアは、妻の実家の会社でスタートしました。結婚するつもりで、彼女の実家の会社へ入ったんです。印刷の製本の折工程をやっている会社でした。そこから5年間、機械のオペレーターとして作業やメンテナンスをしました。職人の世界でしたね。紙によって、機械の設定が全て変わってくるんです。同じ設定ではシワがよったり曲がったりしてしまうので、紙によって毎回設定を変えなければいけないんですよ。最初は大変でしたが、面白かった。でも自分が本当にやりたい仕事ではなかったと思います。
5年で会社が倒産して、車が好きだったので、車の事業を自分でやろうと思いました。そこでまずは知識や経験をつけようと、3社に応募しました。部品関係の会社、知り合いの会社、そしてグローバンネットです。部品関係の会社は面接を受けませんでした。知り合いの会社は、たまたま人を募集していなかった。それでグローバンネットの面接を受けたんです。
面接には社長の玉置(現会長)がいて、大きな体をしているなと思いましたね(笑)。給与の希望を聞かれて、私の目的は給与ではなかったので「いくらでもいいです」と答えました。返答まで1週間待って、入社が決まりました。
実は採用の返答が来た10分後、知り合いの会社から連絡が来て、新事業の立ち上げに誘われたんです。でもグローバンネットからの採用が先だったので、そちらに一旦入ると伝えました。グローバンネットで1~2年働いてノウハウをつけ、次へ行こうと思って入社したんです。
当時の社員数は7名くらいでしたね。玉置も現場にいて、つなぎ姿で出社して車を磨いたり、私の机の後ろに座って、車の販売に集中していました。
・そこから17年、会社はどのように変化していきましたか?
当時から、とにかくみんなが目の前のことを一生懸命やっていましたね。そうするうちに自然とお客様が増えて、規模が大きくなって、店舗展開してゆきました。つくばに出店して、所沢も敷地面積を広げて、裏の駐車場を借りて在庫を増やして……。人が必要になって、中途から切り替えて新卒採用を始めました。必要に迫られてどんどん大きくしていった印象です。
でも私はそのステージには興味がなかったのです。自分がやりたいと思っていたのは、社員数1〜2人の小規模の会社でした。オーダーを受けて販売をしながらカスタマイズするような会社をやりたかったのです。だから新卒で何十人も採用する今の会社での経験は、自分に必要なのかなと思っていました。
そこで辞めるのも簡単でしたが、経営者になるなら、大きな規模の経営を経験してから小さい規模を経営することはできると思ったのです。でもその逆はできないなと。だから今の会社の規模が大きくなっていくのであれば、その経営ができるようになってから、30~40歳で自分の選択の機会を作ろうと思いました。だからまずは目の前のことに向き合っていましたね。
・社長就任への転機はいつでしたか?
当時はまさか自分が社長になるイメージはありませんでした。転機は、35歳のときにNLP(Neuro Linguistic Programing:神経言語プログラミング)の資格を取ったことでしたね。
当時の肩書きは営業部長で、生活にも困ることなく、仕事も順調でスタッフも増えて、自分の上司は社長だけという状況でした。そこで自分で経営をやりたいという気持ちが強くなって、焦りが大きくなっていたのです。仕事も玉置の看板やふんどしを借りてやっている感が強く、自分で裸一貫でできる自信が全くありませんでした。
モヤモヤしているとき、会社でNLP研修へ行かせてもらったのです。周りの参加者はみんな経営者で、その中の一人に「経営したいのだが迷っている」と悩みを伝えたのです。すると「そもそもあなたはもう経営をやっていますよ」と言われて。それがきっかけでしたね。
自分自身では、自分のやっていることは経営ではないと思っていたのです。雇われてやっていると思っていたんですよ。自分の業務内容や決裁権もその人に伝えた上で「それって経営じゃないですか」と言われたときに、「そうなんだ!」とハッとしたのです。「それなら自分の会社だと思って遠慮なくやろう」と思ったのが35歳のときでした。
誰も私に対して邪魔をしているわけではなかったんですよ。玉置も制限しているわけではなかった。自分の気持ちがブレーキをかけていたことに気がついたのですね。そこが明確に自分の中でやろうと思った転機でした。
・マインドが変わってから行動はどう変わりましたか?
今まではスタッフに話をするとき、軸として玉置の言葉を伝えていました。「社長はこう言っているから」「社長の考えはこうだから」と。それを「私はこう思う、だからこうしよう」と、自分の言葉へ変換して伝えるようになりました。それまで私は玉置の代弁者だったのですね。玉置の思いを伝える役割から、自分の思いを伝える責任者としての自覚を持つように変わりました。
・社長就任の指名を受けたのはいつ頃ですか?
2021年末に、社長就任の指名を受けました。明確にというよりは、会話の流れでという感じでしたね(笑)。やりたいかどうかという話もなく、会社の規模が変わっていくにつれて、役割はこうなったという流れでした。いつもそうですね。執行役員になったときも突然、社員総会で言われました。聞いていなくて、「そうなんだ」と(笑)。
35歳のときから自分が社長だと思って仕事していたので、正直なところ、責任重大だとは全然思いませんでした。受け入れる気持ちはとうにできていたのです。だから役職名が変わったなというくらいで、4月以降も特に身が引き締まるという思いもないんですよ。無意識にはあるかもしれませんが、今まで通りやっていこうと。
実感があったのは、周りの人が喜んでくださったときですね。お花やプレゼントをいただいて、「おめでとう」と言葉をかけてもらったり。そういうものなんだと、それで社長に就任する実感が湧きました。
・経営者を目指す人に伝えたいことは何ですか?
そうなっていないときから、そのように振る舞うことです。20代半ばの頃、玉置に言われた言葉があります。「経営者になりたいのであればサラリーマンができないとなれない」と。サラリーマンよりも経営者の方が大変だから、サラリーマンができれば自分で経営もできるということです。
別にサラリーマンが悪いわけではありませんよ。サラリーマン感覚でやるのではなく、サラリーマンでも経営者感覚でやれば、活躍の場所は広がっていく。そういう感覚でやっていくといいと言われたのです。経営者感覚はそれまでも意識していましたが、35歳のときに「自分が経営者である」と思い込んで実行するようになりました。経営者感覚を持つことの大切さを一番に伝えたいですね。
・仕事をするうえで大事にしていることは何ですか?
誠実であることです。お客様に対してはもちろん、スタッフ、地域や社会に対しても誠実であることが根底にないと、継続持続はできないと思っています。
スタッフと接する際の話し方を褒めていただくことがあるのですが、私はもともと言葉遣いが荒くて、玉置からも怒られていました。学生時代は真面目なタイプではなかったので、言葉遣いは荒くて短気だったのです。
店長だった頃、新卒社員が10人入ったら10人が辞めるという時代が3~4年ありました。その頃は「結果が出るまで帰るな」と。確約をいただくまでは電話をかけ続けようと、そういうやり方をしていたのです。それが正しいと思っていたのですが、人が辞めるたびにドキッとしていました。でも原因が自分だとは理解していなかったので、苦しかったですね。とにかくその現状を受け入れられなくて、なんとかしたいと思っていました。
結果として35歳でNLP研修へ参加したときに、自分が相手の意図や価値観を重要視していなかったことに気づいたのです。そこで猛反省しました。
・これからのビジョンを教えてください。
社長は私にとってゴールではなく通過点です。ネガティブに言えば、社長はいつでも交代できるのです。自分より仕事のできる優秀な方がいれば交代すべきなんですよ。ポジションの問題なので、役職にこだわるつもりも全くないです。自分がやりたいことが世の中のためになるのであれば、どんなポジションでもやろうと今も思っています。
現時点では決めていませんが、今後一人で経営をやる可能性もあります。でも社会への影響力を考えると、玉置とやったほうが影響力は大きいですよね。自分がよいと思ったことを一人でやっても、目の前の一人にしか届かない。今はこの会社でやったほうが、波紋のように影響が広がって、自分にとっての経験値が上がるのです。
・グローバンネットはどんな会社ですか?
圧倒的に、人の差別化です。抽象的ですが「いい人」がほぼ全員なのです。お客様の目に見えるところは人です。マーケティング力や営業力はスキルの一つに過ぎず、それが目的ではありません。人生の目的は、人格を磨いて人として成長することです。
役員で企業理念を決めているところなのですが、「成長とは」という問いに対する答えを役員で持ち寄ったところ、全員の考えがほぼ一致していたのです。価値観の広がり、視座が高まることが成長だと。成長イコール人生の豊かさであるということです。
世間一般でいう豊かさとは、お金かもしれません。フェラーリやランボルギーニに乗ることが豊かであると。でも本当の幸せとは、幸せな環境を作ることではなく、幸せを感じる力を高めることです。今この時点でも、人との出会いがあって、話ができることの幸せがある。そういう感覚を持つことが、本当の幸せだと私は思います。幸せを感じる力を高めている、だからいい人が集まるんですよ。
他人を喜ばせること、他人に貢献できることが、自分の価値を高めることにつながります。仕事ってすごくいいなと思いますよ。人に感謝されて、お金をいただける。こんないいことが他にあるのかなと思います。そんなふうに捉えられると人生は豊かになりますよ。人生では仕事の時間が圧倒的に多いので、仕事で幸せな感覚を持つ機会が増えれば増えるほど、プライベートな時間も豊かになっていくのです。
・最後に、就活生へのメッセージをお願いします。
仕事については、どんな仕事であっても、目の前のことを一生懸命やることが大切です。「自分にしかできない仕事を」とよく耳にしますが、人がやらないこと、やりたくないことが、自分にしかできない仕事になるんです。だから人がやりたがらない仕事に目を向けることも大事です。それができるようになれば、自ずと自分にしかできない仕事になってくる。人がやりたがる仕事はみんながやるからです。
狙いに行く人は大体外します。「ここが儲かる」「差別化になる」と狙いに行くと外れるんですよ。入口からやりたいことで差別化しようとすると、見つかりません。「手間がかかるし時間がかかる」「汚いからやりたくない」、そういうところに突撃していって、効率化したり、全然違うやり方で楽にできるようになれば、そこで差別化ができるのです。
キャリアは自分で取るものではなく、人から支えられ選ばれるものだと思っています。そのためには自分自身を高めながら、周りの人も一緒に幸せにする気持ちを持つことが大切です。
仮にスキルだけでキャリアアップしても、その先には孤独しかないかもしれません。それでは自分自身を苦しめてしまいます。ですのでぜひ早い段階から、人に支えられながら自分が立ち、キャリアステップを歩んでいるというスタンスを持ってほしい。そのほうが気持ち的にも楽ですし、幸せを感じられます。成長できる環境で、幸せを感じながら働いてほしいと願っています。
35歳から自らが社長であるという姿勢で仕事に打ち込んできた神杉。「今まで通りやっていこう」というその笑顔はエネルギーに満ち溢れていた。キャリアは自分で取るものではなく、人から支えられ選ばれるものだという言葉を、神杉の生き方が証明している。